すべての条件を外す2
ただ何かあったら、すぐ実行できるようにしておいたほうがいいです。
あなた自身が外すことが出来ない条件を、必ず不必要にしなければならない訳でもありません。
ただ本当に大切なことには、不必要です。
あなた自身が外すことが出来ない条件を縛っているのは、その言葉の通りあなた自身です。
この自分を縛ることによって自分を証明しようと、必要としているのが条件なのです。
過去の記事では「偽りの自分」知るために、他人が必要ということを書きました。
今回は他人が条件に変わっただけです。
ですが他人でも条件でも、あなたが証明しようとしているのは「偽りの自分」のほうです。
外(そと)との関係は「偽りの自分」知るために必要ですが、自分を証明できるものではありませんでした。
だから、外との関係(条件)はすべて不必要なのです。
条件を付けて、自分を証明しようとしている限り、あなたは「本当の自分」を見つけることはできません。
本当の自分を知らないければ、そこから出てくる本当に大切なことは見つけることができません。
あなた自身が外すことが出来ない条件を、今すぐ実行しろとは言いません。
でも外した想像はできると思います。
そのとき、開放されますか?
それとも、隠れていた新たな外すことが出来ない条件が出現しますか?
とことん外していってください。
すべての条件を外す1
それは「すべて」です。
最初はすべてと言われても、なかなか判らないと思います。
そこでまず初めは、自分の部屋(または家)の中の目に見えるものを無くしてください。
頭の中で想像してもいいですし、想像しにくいようでしたら実際に移動させてもかまいません。
何もない部屋の中を見て、どんな感じがするでしょうか?
ぼくたちというのは、ある条件があるからこそ出来ることが出てくるのです。
例えば、鏡があるから自分の顔が見れるのです。
イスがあるから床でないところに座れるのです。
照明があるから、夜も明るいのです。
こんなふうにしていくと、沢山あると思います。
ですが無ければ、することは出来ません。
たちまち不便になってしまいますし、それに伴う感情も無くなってしまいます。
鏡がなければ、自分の顔をかわいいと想うことも出来ませんし、髪型が決まっていると想うこともできません。
イスがなければ、イスに座るという感じも味わえません。
照明がなければ、夜遅くまで起きて何かをやることも出来ません。
このように条件があるから可能なことだというのを、気付かないで過ごしているのです。
部屋が出来たら、他のところでも試してみてください。
家、外、など、どんどん広げていってください。
そして次は、自分の置かれている環境(学校、仕事、遊び)も同じように感じてください。
そして人、動物、植物など生きているものにも試してみてください。
そして、空気、海、太陽、大地など更に広げていってください。
そうしていく中に、必要な条件と不必要な条件が出てくると思います。
どれでその必要だと思う条件が出てくるかで、あなた自身を縛っているものが判ります。
本当に大切なことに、あなたが持っているその条件は必要ですか?
まずは、このあなた自身が外すことが出来ない条件を見つけてください。
災害で「死」の恐怖を体験された人は、大変だったことでしょう。
そしてこれから「死」の恐怖を味わっていくことになるであろう人も大変だと思います。
しかし「死」というのは、人である以上必ず来るものです。
それは、この後すぐかもしれませんし、1ヶ月後かもしれません。
もしかしたら1年後かもしれませんし10年後かもしれません。
はたまたもっと先かもしれません。
このように、ぼくたちは「死」がいつ来るかを知ることは出来ません。
その「死」が来るまでは、生きています。
そのため、生きるための手段を確保しなければ「死」にます。
できれば、この「死」が訪れるまでの「生」で苦労はしたくないと想い、楽になるような生きるための手段を求めます。
でも、よく観てください。
長生きする保障もなければ、短命の保障もありません。
この世というのはそういうものです。
楽になるために、苦労している最中に「死」が来ることもあれば、やっと楽になったと安心したら「死」が来ることもあります。
もちろん「死」が来るまで、ずっと楽の場合もありますし、ずっと苦の場合もあります。
つまり「死」が来るまでの「生」も、楽の保障もなければ、苦の保障もないのです。
そんな保障のないものの中でも、満たされた「死」、満たされる「生」というのがあります。
それは、一日々、一時々、一瞬々を大切にすることです。
何が本当に大切なことなのかは、すべての条件を外し、それぞれ自分自身の心の奥に問いかければ答えは返ってきます。
それをどうするかは、それぞれに任されているのです。
世界各地では、竜巻、地震、噴火、洪水などで多大な被害が発生しています。
日本には「ガツン!」と大きなものは来ていませんが、ジワジワとさまざまなことが起きています。
原発関係では、最近になってようやく少しづつ本当のことがメディアでも公開され始めてきました。
現実と向き合い、自分と向き合ってきた人には「やっと出たか!」という感じだと思います。
そして、それなりの気持ちを持って行動していたのではないでしょうか。
現実から目を反らしていた人、自分と向き合わなかった人には、ショック、後悔という感じだと思います。
でもそれに気がついたなら、そこから変わればいいと思います。
起きてしまったことはどうすることも出来ませんが、その先の未来は決まっていません。
そこからどうするかは、自分自身の自由意志つまり選択です。
また元に戻ってしまったり、まだ目を反らすなら、再び痛みを味わうこととなるでしょう。
なぜなら、今一般に公開されている情報(新聞、テレビ)は、ネットに比べて圧倒的に操作されており、現実は非常に危険な状態だからです。
今後も真実が一般に公開されたころには、かなりの部分で手遅れとなりそうです。
「危険を煽るな!」「風評被害に負けるな!」等、言われる人達がいますが、そういう人こそもっと現実と、もっと自分と向き合ってください。
後悔というのは「あのとき、こうすればよかった。」「もっと、何々やっておけばよかった。」など、自分が本当はどうしたいかを偽ったときに出てきます。
できれば今後は、後悔のないように生きてください。
今、感じること(補足)
それで「ガツン!」と来ると、ピンポイントなのでへこみ具合はすごいのですが、何か今までと違うな~と考えてみると、立ち直りというか回復力というか何かそんなものが早い気がするんですけど‥‥。
やっぱり、何回も受けてるから鍛えられたのかな‥‥。
あと、行動して良かったかな。
いろいろ見つめるきっかけになりましたしね。
多分もっと行動が遅かったら、もっときつかったと思いますね。
今はそう感じます。